一章
3・緑
シュンシュンと音がして空気と風景が顔の横をすり抜けていく。
ラジオは流行りの音楽と無機質な音声を交互に流す。
車は大きく揺れながら目的地を目指していた。
アリオンは車を運転している同僚の後頭部を見つめた。運転席の窓が少し開いているせいでアミアの一つに結った長い髪が絶えず風になびいている。
後部シートにはアリオンともう一人、イオが座っていた。アンドロイドのイオは車いすに乗せられ、動かないようにベルトで固定されている。その彼らの周りをみっしりと工業用機材がはいったコンテナが取り囲んでいた。
***
アリオンが自室にて、夢で会った兎の名前で”オールフリーパス”が送られてきた事を話すとアミアはすぐに「わかった」と言った。
アミアは茶化したりせず話を最後まで聞いてくれる。昔からそうだった。アリオンは少し落ち着いてきて彼女に「ありがとう」と言った。
「どうする。機械修工店行く?」
アミアの問いにアリオンははっとして時計を見た。予約の時間にはまだ余裕がある。
「行くよ。イオの事を放っては置けない」
「イオ」
アミアの不思議そうな表情を見てアリオンははたとした。
「このアンドロイドに名前付けたんだ。昨日飲みの時に廃工場行ってアブ達と見つけてさ。壊れてるから店で見てもらおうと思って」
へえ~、とアミアは興味津々にイオを見た。
「イオっていうんだ。凄い」
触ってみてもいい?と言うアミアにアリオンはもちろんとうなづいた。休日に機械屋へ赴く用事があるくらいアミアも機械いじりが好きな仲間だ。生き生きとした表情がそれを物語っている。
「髪の毛だけ凄いボリュームあるんだ」
「本当だ、もこもこ。体は普通だね」
しばしイオの頭部と素体の部分に触れた後アミアは顔を上げた。
「これ運ぶの?重くて店まで持ってくの無理じゃない」
アリオンは頭をかいた。
「うん。実はそれで困ってた。工場の台車か車いすを借りようと思って」
「借りられても移動手段だね」
アミアは細い指を顎に置き、少し考えるそぶりをした。
***
がたんがたん、と大きめにワゴン車が揺れた。アリオンはなんとなくイオの車いすに手を添えた。ごめん、揺れた?と前から声がする。
アリオンはアミアの運転する車で機械修工店に向っていた。工場の車いすを借りてワゴン車のスロープからイオを積んだ。例のガラス瓶の水と一緒に見てもらうために。
「大丈夫。ありがとうアミア。ごめん、明日の仕事だったのに」
「いや別に。元々やる仕事だったしね」
茶色のキャスケット帽をかぶったアミアは少しだけ後ろを向いた。口元に煙草をくわえる。
アミアは翌日の仕事の納品を前倒しし、工場の車を出して運んでくれたのだ。アミアも店に用事があるとはいえその申し出にアリオンは驚いた。アリオンも免許を持っていたからそれなら運転を代わると言ったのだが自分の仕事だからと断られた。
アミアの表情は後ろからはよく見えないが、言っていることは本当だろうとアリオンは思った。
アリオンが8歳、アミアは7歳の時に工場で初めて会い、働き始めて10年以上になる長い付き合いだ。これ位の事はもうお互い迷惑にも恩にも感じないやり取りだ。だがアリオンは心から感謝を伝えずにはいられなかった。
本当に頼りになる幼馴染だ。
アミアはこの年にして大型や特殊車両、他にも舟を運転できる資格を持っている。
背中で語る姿が板につきすぎてる、とアリオンは思った。
車はA街の中心部の背の高いビルが立ち並ぶ地区へ入った。
「アミア、悪い。”交換所”に寄ってくれるか?確かここから直ぐの所にあったはずだ」
アリオンは後部座席からダッシュボードの時計を確認して言った。
「いいけど何か交換するの?」
「うん。確かめてみたい事があるんだ」
「寄ればいいんだね」
「頼む」
しばらくして車が商店街の駐車スペースに停まった。
アリオンは一人車を降りるとアーケード商店街の中に足を踏み入れた。
”交換所”
ーそれは生体プログラム内で得た物を景品として交換できる場所だ。
生体プログラム自体は現実には実在しないが、例えばプログラム中のゲームで獲得したアイテム、レター箱を使用する毎に付くポイント等を貯めると、いい物と交換する事ができる。商品券や割引券がほとんどだがちょっとした品と交換する事もある。それがテレフォシー社が管理している「交換所システム」だ。
多くの人が生体プログラムをやる要因の一つといっていい。だがそもそも生体プログラム自体が違法なので、外観はそれとはわからない場所にひっそりと存在している。
商店街の一角の、やけに彩度の薄い花を売る花屋は交換所だ。店の中には花に隠れるように一つ目のレンズの青緑色の機械が顔を出している。
アリオンはレター箱に届いていた”オールフリーパス”を申請した。レンズの前に立ち、生体プログラムに接続する。青緑の一つ目の機械が光彩を絞ると、しばらくして下部の箪笥の引き出しのような部位がするする開いた。中には金色に光るカードがあった。
普通に交換された。アリオンは震える手でパスを受け取ると誰もいないのを確認するように後ろを振り返った。そして逃げるようにその場を後にした。
アリオンが交換所から帰ると車は元の経路へと戻った。舗装の悪い道路の振動に翻弄されながらアミアに交換所での出来事を話すと、アリオンは放心して手元のカードを表裏ひっくり返し四隅をなでて現実なのかを確かめた。灰色の空の色に透かして見てもカードは無地の金色をしていた。
因みに、それが『本物』だという事は、さっき車が有料道を素通りできてしまった時に証明済みだった。
(本当に)
アリオンはまだ夢の中にいるような気持ちだった。
「本当だったって事なのかな」
アリオンが呟くとアミアがふーっと息を吐きながら前を向いたまま言った。
「パスは本物だね。使えちゃったからね」
そうだ、使ってしまったのだ。アリオンは青ざめた。
「パス、使っちゃったからゼノス行き拒否権ナシ?イオを連れてくの断れないのか」
「う~ん、かも」
アリオンは頭を抱えた。
「ああ考えなしに交換するんじゃなかった。なんかすべてが裏目に出てる気がする。やっぱり俺さあ、昨日の飲みにアミアがいればよかったって思った。俺がアンドロイドを持って帰るの阻止したんじゃないかな・・」
アリオンがそういうとアミアは一本指で額をかいた。
「いやそれはどうかな。私もそこに居たら悪乗りしてたかも」
「そうか」
「うん結構流されやすいほうだしね」
昨日、アミアは別口の飲み会に参加していた。そちらは女ばかりの会合で、なんと用心棒扱いで呼ばれた。口数が少なくて愛想笑いをしないアミアは、体術が使える事もあって一目置かれてはいるようだが、アリオンにはアミアが女たちに都合のいいように扱われているように見えた。だが本人的には悪いようには思っていないようで、声がかかればこうして飲みに参加するのだ。
「そっちの飲みどうだった?もし嫌だったら断ったれよ。アミアはお人よしなんだから」
アリオンが言うと、アミアは少し微笑んだように見えた。
「いやじゃないよ。だから行ったんだ。楽しかった」
「そうか。ならいいんだけど。話せる人いるの?」
「うん、一緒に居てほしいっていう子がいる」
「そう。いいんだけど楽しいなら。まあ、こっち来ても飲むの俺らとだしな。昨日みたいに暴走する事もあるし、ビビりのアイクもいるし、楽しくもないか」
アミアはふふっと、今度は後ろからでもわかるくらい笑ったのが見えた。
「私もビビりだよ。やっぱりその時居ても一緒になってイオを運んでた気がする」
「はは、そうか」
アミアがそんな風に言うのを意外に感じてアリオンは思わず一緒に笑った。
そういう時アミアはしっかりしているイメージだったから。
「久しぶりにアリオン達とも飲みたい。行ってもいい?」
「もちろん。こっちはいつも同じようなメンツだから、アミアが来たらみんな大歓迎さ。週末”うみねこの宴”ね」
「おーけー」
余計な事だとは思うがまるで兄妹のように心配してしまうアリオンだった。
アリオンは少し安心して笑ったが、隣のイオを眺めているうちにすっと我に返った。
「パスが本物となると、あの兎・・ゼノが言ったこともマジな可能性があるな。イオには深緑が使われてて、本当は人間だっていうのも」
「うん。ゼノって何だろうね。ゼノスにいるって言ってたんだっけ」
「ゼノスに居るとは言ってなかった気がする。ここから遠くに居るって言ってたけど」
アミアはアリオンが言ったことを覚えていてくれた。
アミアにも聞いてみたが”ゼノス”については彼女も知らず謎のままだった。
「たぶん俺は昨日の夜中、イオと目が合ったときにゼノに会ってるんだ。ゼノって、イオのアバターみたいな感じでさ」
「うん」
「イオの中に封じられてるのかもしれない」
「イオの中に?」
「うん。ゼノが言ってた事が本当かどうかは誰もわからないよな。まあカードは本物だったけど。遠くに居ると言いつつ、実はイオの中に居て俺をそそのかしてゼノスに運んでもらおうとしてたりして。真実を知るためにはイオが本当に深緑製アンドロイドなのか人間なのか。それをはっきりさせよう」
アリオンは自分の目的がはっきりしてきて、一人で合点した。
そんな幼馴染にアミアは言う。
「たぶんイオは深緑製アンドロイドだと思うよ」
アリオンはそれを聞いて興味深く思った。
「そうか。アミアはそう思うんだ。確かに素性のわからん兎のアバターの言う事なんか俺も自分で確かめるまで信じられない。俺の名前知ってたし、アドレスも何故か知っててレター箱にオールフリーパス送りつけるし思えば新手の詐欺だったかも」
「アリオン、深緑の一番わかりやすい特徴だよ。覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ。相手の思考を読み取って自動的に動く・・んだろ」
アミアの問いを不思議に思いながら答える最中、アリオンはある真実に気づいて言いよどんだ。
ゼノがアリオンの事を知っていたのは、もしかして・・。
「持ち主の情報を読み取って動くって、深緑製アンドロイドの特徴だよね。アリオンの情報を読み込んだんだと思うよ、イオは。知ってたのはそのアバターのゼノだけど。だからイオは深緑製かなと思う」
アミアの言葉に、アリオンは茫然として言葉を失った。
まるで答え合わせのようだった。
何故ゼノがアリオンの名前、レター箱のアドレス、機械修工店への予約も知っていたのか。イオが深緑製アンドロイドで自分が情報を読まれたのだとしたら・・。
しかしとすると自分の手の内は、いや脳の内は全てあの得体の知れない相手に筒抜けになっているという事では。あわよくば逃げられると思っていたところに絶望が追加された。
午後14:50。VIP予約に変更されたことにより時間は当初より2時間早まっていた。
車はA街の繁華街に到着した。ビルが立ち並び、工場街より交通量も人も多い。
アリオンは車を降りイオを駐車場の道路に運び出した。アミアは先に納品に行ってから再び戻ってきて店で自分の用事を済ますという。
アリオンが慣れない車いすの扱いに苦労しながら前へ進もうとすると、後ろから肩をぽんと叩かれた。
「これアリオンのじゃない」
アミアが右手に蓋つきの小瓶を持って立っていた。車を降りて持ってきてくれたようだ。アリオンは自分のジャケットにさっき出がけに突っ込んだ瓶の姿を探し、それが無い事を確認した。
「ありがとう。俺のだ」
「よかった」
「今日は何から何までダメだわ俺ごめん」
アリオンは目をしょぼしょぼさせながら空を仰いだ。
夢だと思っていた出来事はほぼ現実で、更に得体の知れない者に情報を取られている説が濃厚である事にアリオンは打ちのめされていた。カードやゼノス問題ですでにとっちらかっていたのに。
アミアは頭を横に小さく振った。
「しょうがないよ。取り乱すのも無理ない事があったんだもん。で、これがさっき話してた水?」
とアミアはガラス瓶を見やった。瓶の中で緑の液体が小さな泡を出しながら渦を巻いている。それは不思議な光景だった。
先程車の中で、この水についても話したのをアミアは覚えていてくれた。
結局、彼女がこの拾得物の最初の報告相手になった。
アリオンはうなだれてうなづいた。
「そう」
「ふーん。納品が終わったらもう一回話して聞かせてよ。それ汲んだときの話」
そういうとアミアは風のように素早くワゴンに戻り、運転席の窓から手を振って走り去った。
駐車場にアリオンとイオが残された。
一番最初に相談できたのがアミアでよかったな、とアリオンはしみじみ思った。