
一章
1・緑 -2
灰色の空にそびえたつ20数階建てのビルディング。人も車の行き来も絶え間ないそこは政府直属の巨大病院群だ。
アリオンは建物の足元でしばらくその姿を見上げていたが、「よし」と呟くとイオを乗せた車いすを反対方向に押して歩き始めた。
彼らが用があるのは巨大病院ではなく、その隣の区画にあるちんまりとしたガレージ。店なのかどうかすらわからない様相の建物に入りすぐエレベーターで地下へ降りる。ブウンと低い機械音と共に地下に降りる事数秒、扉がスライドして目の前に象牙色の壁と店の入り口が現れた。アリオンは車いすを押して通路に降りた。
スピーカーから軽快な音楽が流れている。いつもは人がちらほら居るのだが、今日はVIP予約のせいか誰もいなかった。
機械修工店―アンドロイドを中心とする機械の病院だ。近年アンドロイドは外見だけでなく中身も人間と近い構造になりつつあり、対応するためには機械だけでなく医療の技術も必要になってきている。機械専門だが店では機械と医療の両方が設備されている。
アリオンの目前の店の大きな鈍色の扉は開かれたままになっている。看板も何もないため外観からは何屋なのか全くわからないのは昨日の飲み屋と同じだった。だが正体をあいまいにするには役に立っているかもしれない。地下に隠れるように存在するこの店は、やはり日の目を避けたい理由があるのだ。
通路の右側奥の突き当りにもが扉がある。今日の所はアリオンは用はなかったが、後ほどアミアはこちらに行くと言っていた。
「おー兄ちゃん来たな」
アリオンが扉に近づくと中から聞き知った声がして中肉中背の男が顔を出した。キャップを前後逆にかぶり白髪交じりの髪がはみ出している。年は40半ば程だろうか、上下カーキの作業着を来ている。どんぐり眼が印象的な店主だ。
「おっちゃん」とアリオンはつぶやいて車いすを男の前まで押した。
イオを連れている姿を見て男は苦笑いして顎をかいた。
「急にVIP指定するとはただ事じゃねえと思ってたが。まさかにーちゃんもとは」
アリオンは立ち止まった。
「俺も?ってどういう事?」
「つかまされたな」
「何を。おっちゃんは俺の頼みの綱だよ」
アリオンが思わず声量を上げると、男は辺りを一瞥してアリオンに言った。
「話は中で聞く。誰が聞いてるかわからねえからな」
港町A街(エーストリート)1丁目313番地- 『機械修工店』・・
店主の男は名を「ヘーゼルナッツ」と名乗っていた。コードネームらしく本名は不明だ。
アリオンはこの店が出来た2年程前から常連客だった。店主は神がかった技術で評判で”あれは殿上から来たのではないか”と噂にのぼった。
確かにこの店ではA街で当たり前のようにかかっているラジオを流さず音楽を流しているとか、店主が露骨に政府に関する話題を避ける姿をアリオンも肌で感じていた。
しかしそんな流言は気にせず、アリオンは店主の気さくな人柄と知る限り一番信頼できる腕を気に入ってよく駆け込み相談していた。
店内に入るとやはり陽気な音楽が流れていた。入ってすぐに病院のような待合室がある。機械屋だが整然と片付いていて、消毒液の臭いがする。普段は順番を待つ人が合成皮の茶色の低い椅子に座っているのだが今日は外と同じく誰もいなかった。
いつもと違う緊張感をアリオンが感じていると、白衣を来た機械看護師の女性がイオの車いすをアリオンから引き取り奥の部屋へと連れて行った。
そのまま待つことなくアリオンは奥の診察室に通された。店主の後ろをついてゆく。
「新製品の自家製アンドロイド用パーツの件だと思ってたんだがよ」
ちらっと後ろを見て店主はアリオンに笑いかけた。
アリオンは肩をすくめた。
「それはしばらく無理になった。本当はそれと拾い物について見てもらう予定だったんだけど・・大物が追加になっちゃって」
「立派なアンドロイドだな。本物の女の子かと思ったぞ」
「ちゃんと紹介するよ」
店主とは普段からこれ位の口を利くラフな関係だった。
そう言いながらアリオンは廊下の棚や見慣れたアンドロイドの部品に気を取られた。
「どうしたんだキョロついて」
店主からも声がかかった。
「いや、なんかまぶしくて」
「まぶしい?」
「そこの棚、何が入ってるの?」
「・・企業秘密だ」
「なんだよ。まあそりゃそうか」
話してるうちに診察室にたどり着いた。
アリオンはそこでもまぶしさを感じて目を細めた。
いつもの薄暗い青緑色の部屋なのだが、どうした事だろう。
そっと薄目を開くと診察台の上にイオが一人寝かされている。
あまり広くない診察室には他に誰も居らずアリオンと店主だけになった。
横たわるイオを見て、ふとアリオンは夢の中の白い世界で眠り続ける姿を思い出した。
「で、こいつを見てほしいって事だな」
思わずぼうっと見入ってしまったアリオンの耳に店主・ヘーゼルナッツ氏の声が届いた。氏は白衣に袖を通してまるで医者のようないでたちになった。
アリオンはうなづいた。
「このアンドロイドは故障しているみたいなんだ。直したい。頼むよおっちゃん。
でもその前に一つ確認したいことがあるんだ。変な事を言うけどこのアンドロイドが人間かどうかを調べてほしいんだ」
それから、とアリオンは上着のポケットからガラス瓶を取り出した。
「この水も。これが何なのか組成を調べてほしい。何だかわからない物はおっちゃんに頼むのがいいと思って」
そう言うと片手に収まる程の大きさの瓶を店主に渡した。
店主は半透明の緑色の水が入った瓶をしばらく見つめ、それから診察台の上のアンドロイドに目を落とした。
「こいつらはどこで手に入れたんだ?」
「アンドロイドは昨日廃工場で。水はよく覚えてないんだけど、一週間前にたぶん森で汲んだ」
「森で?」
店主はくっ、と噴き出した。
「ホントなんだ!・・たぶん」
アリオンは肯定したが自信なく付け加えた。
「わぁった。疑ってんじゃねんだ。詳しい状況を教えてくれや」
店主の言葉にうなづくと、アリオンはガラス瓶の中の水について話し始めた。
それは一週間前の事だった。
飲み会の帰り道にアリオンは道に迷った。
夜も更け一人、酔いも回っていたせいかいつまでたっても家に着かず、ぐるぐると同じ場所を回っているようだった。普段慣れている道でこんな事になるとは思いもせず弱っていると、ふと目の前に森が広がっているのに気が付いた。
A街の工場周辺にこんな風に木々が生い茂る場所は見たことが無い。夢でも見ているのかと思ったが既に疲れ切っていたため、疑いは早々に手放して引き寄せられるように森に入った。
中はさほど暗くなく歩く事ができた。当時月が出ていたのかもしれない。辺りは木が繁り、地面は草で覆われていて森としか言いようがなかった。
奥に入って行くと大きな湖があった。湖を取り囲んで木々が生い茂り、中央に見たこともない程巨大な木が生えていた。伸びた根が湖からはみ出すほどの大きさだった。
水を見て急にのどが渇き、たまたま持っていた酒の空き瓶を取り出した。飲める水かどうかは考えていなかった。湖に近づき、水面をのぞき込むと底部が緑色に輝いている。根っこから半透明の緑色の水が湧き出しているのを見つけた。
アリオンはふと思い立って緑の水を瓶に汲んだ。
その水の色はおとぎ話にある『不老不死の水』を連想させた。
「この辺一帯に伝わる昔話というか伝承というやつなんだ。神の使いがもたらす透き通った緑色の水は、どんな病気も治し死人すら生き返る霊薬なんだって。その話が頭にあってさ」
近年この地にやってきたヘーゼルナッツ氏のためにアリオンは話して聞かせた。
「でもそれから後が、水を汲んだ後の意識が無くて。気が付いたら俺は工場の入り口に座ってた。よかった帰れたんだ、とほっとしたんだけどふと見ると手に瓶がある。中にはこの緑の水が入ってた」
うーむと、店主は顎を撫でた。
「夢のつもりだったが現実だったと。どっちにしろはっきりとはわからんちゅー事か」
「うん。後日思いつく限り歩きまわって森を探してみたんだけど、二度とその場所には行けなかった」
アリオンは瓶を持つ店主に言った。
「おっちゃん、その水を光に透かして見て」
言う通りにして店主は顔をこわばらせた。
「なんだこれは」
店主の口元が笑ってるが目を見開いたままで固まっている。アリオンはうなづいた。
「何か映像が見えるだろ。たぶん最近のものじゃない。ずっと昔の風景な気がするんだけど」
店主は目元を手のひらで覆った。
そして大きく息を吸うと吐いて、地底から響くような声で
「一つ、言える事がある」
と言った。
すっと右腕を高く上げたと思うと人差し指でその先―
頭上を、つんつんと指さした。
店主はまず絶対に『その場所』を言葉にしない。あからさまに避けているのをアリオンは知っている。
必要がある時はいつも二種類の方法で『その場所』を表現する。その一つがこの天井を指さして突っつくような仕草・・。天井を・・てんじょう・・。
おやじギャグなのだが、アリオンは店主の示す意味をバッチリ理解して目の前が暗くなった。
(て、殿上が関係してるって?)
店主はアリオンにさっと近づくと小声で耳打ちした。
(政府が)絡んでる案件だぜ、と。
「嘘だろ・・」
思わずアリオンがふらついたので、店主は椅子をさっと引き寄せて座るように促した。
アリオンはぎしっと音を立てて椅子に沈み込んだ。おやじギャグと真実のギャップで動揺してしまった。
ヘーゼルナッツ氏はアリオンが落ち着くのを待って言った。
「じつはな、にーちゃん。おれぁ、最近このアンドロイドみたいな症状見るのは珍しくない。さっきこのアンドロイドをにーちゃんが連れてるのを見た時も言ったよな。おまえもかって。だからこれが何なのかほぼ目星がついてるんだ」
アリオンは顔を上げて店主の顔を見た。
「皆いろ~いろな場所でアンドロイドを拾って、壊れてるから見てほしいって持ってくんのよ。まさに今見たいにな。にーちゃんがこれを人間かどうか見てくれって言っても俺驚かなかっただろ。そう言って持ってくる奴も今まで結構いたんだ」
「俺だけじゃない?」
「ああそうよ」
「じゃあ、皆もゼノスに来いって呼ばれてるのか」
アリオンが呟くと、店主の顔がピシリと張り付いた。どんぐり目を大きく見開き、口をパクパクと魚のように動かす顔を見て、アリオンは瞬きをした。
「いま、なんつった」
「え?ゼノ・・」
「いや言わなくていい」
アリオンは豹変した店主の態度に面食らっていた。明らかに禁句だったのを感じた。こんなに店主が取り乱すことと言えば知る限り一つしかない。
ごくり、とのどを鳴らして意を決しヘーゼルナッツ氏は言った。
「最重要都市。首都だよ。『アレ』 の!」
そういうとアリオンの両肩をつかみ、鼻がくっつくほど顔を近づけて言った。
「いいか今言ったことは誰にも言うな」
アリオンは氏のギラギラした目の迫力に押されて首を上下に何度も振った。
『アレ』、とは氏が”殿上”をどうしても言わなきゃいけない時に使う身もふたもない代名詞だ。頭から二本の触角を突き出した害虫と同じランクである。天井を指さすのもわかりにくいが、何としても言葉にするのは避けたいらしいのだ。
(殿上の首都なのか・・ゼノス・・)
アリオンが心に刻み込んでいると、ヘーゼルナッツ氏ははっと我に返ったようにアリオンから手を放し背中を向け、一呼吸置き再び向き直った。
「悪い。すまなかった。その『アレ』に来いってくだりは初めて聞いたんでな、取り乱しちまったんだ」
「そうなんだ」
凄い拒絶反応だった。
そこでアリオンはアンドロイドをイオと呼んでいる事やイオと目を合わせた直後に生体プログラムのような世界でゼノと名乗る兎に会い、ゼノスに一緒に来るように言われた事などを話した。
ヘーゼルナッツ氏は神妙な面持ちでアリオンの話を聞いていた。ゼノの事は初めて聞いたと述べた。(ゼノが機械修工店への予約を変えたと言うと、表情はより険しさを増した)
アリオンが全て話し終えると、氏はアリオンが座っているのと同じ型の椅子を引き寄せてどっと座り込み、ひどく疲れたようにふーっと息を吐いた。
「そうだな。とりあえず、これが何なのかほぼわかっちゃいるが、確認の検査をする」
寝台に横たわったままのイオを見て氏は言った。次に台の上に置かれた瓶を指し、
「それからこの水。この店でできる限りの検査はやるが、特定できるかどうかはわからない。こんな物を見たのは初めてだからな」と言った。
「おっちゃんでも初めてなのか。引き受けてくれるだけでありがたいよ。断るかと思った」
とアリオンは礼を言い椅子から立ち上がった。
「正直断りてえ。キナ臭さ100%の案件だもの。でもにーちゃんに頼みの綱だって言われちゃあな、やらねえ訳にもいかねえ。それに本当にやばくなったら逃げっし」
氏は歯を見せて笑った。
アリオンはすまなく思ったが言った言葉に嘘はなかった。
「おっちゃん、本当に嫌なのにやってくれてありがとう」
「もう見て見ぬ振りもできねえってだけだ。
そうだ、にーちゃん、このアンドロイドは直ぐ結果が出るはずだから、1、2時間この辺で待ってれば診察結果を報告できるぞ。聞いていくか?」
「えっ、ああ!そうするよ。今日アミアと来てるから、アミアを待ちながら時間をつぶす」
あ、とアリオンはある事に気づいて恐る恐ると氏の顔を見た。
「アミアにはもう言っちゃったよ、例の件」
「なあ~に~い・・まああの嬢ちゃんなら口が堅そうだしな。でもこれ以上他言すんな。生活、いや命にかかわるからな」
それを聞いてアリオンは背中がぞわっとして、急にこの場から早く立ち去りたくなった。もう一度礼を述べると、横たわったイオを一瞥してアリオンは診察室を後にした。
廊下に出る時、診察室に入って行く機械看護師達ととすれ違った。
エレベーターを上がってアリオンは店の外に出た。とても長い時間が経った気がしていたがまだ一時間程しかたっていなかった。灰色の空、車と人の群れ。さっきと同じ光景なのに世界が変わったように見えた。
政府主要機関がある『殿上』。
その首都、ゼノス。
なぜそんな重要な事を今まで知らなかったのだろう。
ゼノは自分に何をさせようとしているのだろうか。
しかしアリオンには不思議と悲壮感はなかった。それどころかさっきまでの絶望感が消え未知の場所への扉に羨望のようなものがわいていた。頑なに殿上の名を呼ばなかった店主の怯えた姿はアリオンの記憶からどこかに行ってしまった。
「ゼノス・・か」
思わず声に出してしまい慌てて口元を両手で隠す。
しばらく周りをキョロキョロして、素知らぬ顔でアリオンは歩き出した。
空の灰色が少し明るくなったように見えた。
アンドロイドの少女に一通りの管を取り付けて経過を時々観察しながら、ヘーゼルナッツ氏はガラス張りのクリーンベンチに置いた緑の瓶を眺めていた。
アンドロイドは氏の大方の予想通りの結果だった。
一方、緑の水を見つめる目は厳しかった。
泡を吐きながら渦を巻く性質、色、まるでー”深緑”そのもの。すぐそばの棚の中やアンドロイドの部品に搭載されている深緑と瓜二つ。
長年アンドロイドに携わってきた身として初めて出会う代物だった。先ほどのアリオンを断れば彼は別の店に行きこの存在が出回ってしまうだろう。それは止めたかった。だから氏はリスクを負って引き受けた。ここで正体を解析し政府の思惑が広がるのを阻止できればと考えた。それが殿上から逃げ出した自分ができる使命だとすら感じていた。
「しかし見た目は深緑だが、これを湖で汲んだってどういう事なんじゃ」
お手上げという風に体をねじって氏がつぶやいていると、背後でアラーム音が鳴り響く。ヘーゼルナッツ氏は顔を上げアンドロイドが繋がれた計測器に近づいた。
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