
一章
4・まぼろし
海辺の町に夕闇がせまっていた。
17時を知らせる放送が流れる中アリオンはベンチから立ち上がった。アミアが帽子とボールを探しに行ってからそれほど経っていなかったが、迎えに行く事にした。
少し行った場所にある階段を降りると、まばらに木が生えた広場の中央に放送塔が建っていた。
アリオンはアミアが入って行ったと思しき場所に足を踏み入れた。ビル3階ほどの高さの常緑樹が塔の周りに暗い影を作り、見通しが悪くなっていた。
「アミア」
アリオンは友人を呼んだが返事はない。
放送塔はいつものように長大な受信音を奏で、ラジオ放送につながると失踪者の名前を読み上げている。
ほぼ真下に来ていたアリオンは肩をすくめた。
(これじゃ呼んでも聞こえないぜ)
頭をがりがりとかき、辺りを見回す。ここから見ると海も町ももうよく見えないほど暗い。今どちらから来たのか、どちらに抜けていけばいいのか迷うほどだ。アリオンは暗がりからアミアが出てくるのを期待して元来た道を戻り始めた。いつの間にか子供たちの声も聞こえない。近くを通る車の音も、波の砕ける音も。
急に背筋が寒くなった。
悪い予感を振り切るように走りだすが、広場の入り口に何故かたどり着くことができない。
やがて小走りになって立ち止まり膝に手をついた。
アリオンは愕然とした。
「なんだこれ、またなのかよ」
いつぞやの森から出られずにさまよった夜の記憶が蘇る。
あんな事は二度とないと思っていた。そもそも酒に酔ったせいだと思っていた。
今頬をつねってみるがちゃんと痛い。
「・・これは夢じゃないな。まじか」
頬をさすりながら振り向くと、放送塔がなくなっておりその場にひょろ長い木が生えていた。そしてその後ろにも、横にも、数えきれない木木木・・視線を戻すと前にも続いている。
まばらだった広場の木はいつのまにか森に変わっていた。
アリオンは脱出困難な森に再び閉じ込められていた。
気が付けばラジオの音ももうない。時々風が吹いて木々の枝や足元の雑草がざわざわと揺れるのみだった。
辺りを深い森の香りが包み込んでいた。
「なんで俺が。何がきっかけなんだ?」
アリオンは無気力に呟いた。
周囲をぐるりと木に囲まれているが辺りは前後不覚になるほど真っ暗ではない。
おかげでまだ少しは冷静でいられた。
「大丈夫だ。俺は一度これと同じ状況から脱出してるんだから。なんとかなる」
胸に手を当てて自分に言い聞かせると、アリオンは目の前の少し明るい空間に一歩を踏み出した。
歩き出すとほんのりと明るい理由がわかった。
頭上の重なり合った枝葉の間から黄色みがかった光の帯が見える。
恐らく月が出ているのだろう。
闇を照らしてくれる存在にすがる思いでアリオンは足を動かした。
これが無くなって暗がりに一人きりだと思ったらとぞっとした。
それでなくともずっと焦りは感じている。
前回は酔っていたせいで気が付かなかったのかもしれないが、今はごく近くで何かが動く気配を感じていた。この森には自分以外の何かがいるらしいという事だ。
アリオン、と誰かが自分を呼んだ気がして顔を上げた。
立ち止まって耳を澄ますとひゅうひゅうと風が吹き地面に落ちた雲の影が動く。
聞き間違いかと安堵するのもつかの間だった。
木のトンネルの先によく知る風景を見た気がしてアリオンははっとした。
(今見えたのって、俺の工場だったよな)
急発進して急ブレーキをかけつんのめる。
転びそうになってあわあわと両手でバランスを取った。
(いやこんな近くに?ここまで工場から車で40分くらいかかるはず)
躊躇している間に木のトンネルは静かになり、奥の方は再び見えなくなった。
(あそこに飛び込めば外に出れたんだろうか)
暗くなった「先」を見つめてしばらく立ち尽くしていると、今度は東側がぼんやり明るくなった。心残りを感じながらアリオンは右に進路を取った。
その後もアリオンの進む先々で不思議な光景が浮かび上がった。
右手の木立の向こうにさっきまで座っていた公園のベンチが見えたし、左手の小道の先には見知ったバーが見えた。
だがアリオンはどれも一瞬立ち止まりかけて歩みを止めなかった。どれもここに存在するのはおかしいと感じる場所だったから。まるで自分を誘っているように、罠をはって待ち構えているようで不気味だった。
アリオンの知っている場所が見えたのは最初だけで、しばらくすると知らない景色ばかりになった。石炭、蒸気機関、古い石の建物、地下鉄道・・人の姿もあったが周囲に砂塵や煙が舞い、顔ははっきりと見えなかった。
ぼんやりと最近見ることが少なくなったものだと思いながらやり過ごすと、急に目の前が開けた。
そこにあったのはアリオンが幼少期を過ごしたR街の孤児院だった。ツタの絡まる石造りの高い塀、重々しい鉄の扉、奥にある三階建ての古い孤児院は夜を背景に窓に明かりがともっていた。10年近く帰ったことはないが記憶の姿そのままであった。アリオンは息をのんだ。
思わず手が門に伸びそうになったその時、再び名を呼ぶ声がした。
我に返ってアリオンは大きく頭を振った。
冷たい光を放つ夜空の青白い月と目が合う。
「くそ、俺はだまされねーぞ!なんだってんだ!」
叫ぶと月と孤児院に背を向けて走り出した。
ここはA街。R街の孤児院があるはずないではないか。
草を蹴飛ばしながら木の間を走り、しばらくして速度を緩めるとアリオンは深い森の真ん中で座り込んだ。荒くなった息を整える。
「どうやったら出られるんだ」
静かになった途端遠くで何かが走るような音がした。聞き間違いであることを祈り脱出を真剣に考える。
「待てよ、そういやアミアもこの変な森に迷い込んでるとかないか?さっき探してもいなかったし」
アリオンは急に思いつくと立ち上がって大声で叫んだ。
「おーい、誰かいないかー!アミア、俺だー!ここに居るぞアリオンだー」
声は常闇に吸い込まれて消えていく。叫んだ後で急に冷静になってきた。
「って、アミアじゃないやつが居たらヤバイな。とりあえず歩こう。この間脱出できた時どうしたか思い出すんだ。あの時はそう、湖で緑の水を小瓶に汲んだ。で、気づいたら工場の入り口で寝てた。てことはてことは」
歩きながら独り言ちていると何度目かの淡い光が目の前に差し込んだ。その先・・木のアーチの突き当りに青がきらめいている。
「湖!?」
言った矢先、目の前に大量の水をたたえた湖面らしきものが見えた。
緑の水を汲んだあの場所によく似ているように見えた。
アリオンは勢いよく走り出した。
(もし水を汲んだ同じ場所なら同じ事をすれば出られるかもしれない)
気がかりなのは今までと全く同じパターンでその場所が出現した事だったが、もう行くしか選択肢はなかった。
そこは目の前の空間がいっぱいになるほどの大きな湖であった。
うっそうとした木々が避けるように取り囲んでいるため本来湖の上は開けているのだが、その空間を覆いつくすほどの巨木が一本、湖の中央に鎮座していた。
それはとてつもなく長い時間をかけて存在している怪異のように見えた。
木という存在を超えてしまった様な有様にアリオンは圧倒された。
うねうねとねじれた枝を空一杯に広げ、月も雲もその後ろに隠してしまっていた。
だが光がなくともどういうわけか辺りはあまり暗くはなく、アリオンは湖に向って歩く事が出来た。
しゃらしゃらと大樹の葉が一斉に風になびき、時々葉をちぎって流してくる。暖かくも寒くもない不思議な心地だった。
アリオンはふと、湖のほとりに何かがいる事に気が付いた。目を凝らすと人がしゃがみこんでいるように見えてぎくりと立ち止まる。
(なんかいる。けどあそこまで行かないと水が汲めない)
辺りを見回しそっと別ルートを取ろうとした瞬間・・、
「アリオン」
「ギャ!!」
思わず奇声を上げてしまい、アリオンはもう遅いが口元を隠した。
冷たい汗が背中を伝う。直ぐ近くで声がした。
「ここ、ここだよ」
湖のほとりの人影から目を離さずにいるとハーフパンツの裾が引っ張られた。
慌てて足元を見るも何もいない。
「ここ、よく見て」
「どこだよ」
「影のなか」
アリオンがのぞき込むと自分の足元の薄い影の中から、小さな黒い“もや”が立ち上がって動いていた。頭上に二本の長いひらひらがくっついて動いている。
「お前その声ひょっとして」
「ゼノだよ」
ゼノ、と名乗った黒い”もや”はぴょんと飛び跳ねるとアリオンの影の中にびちゃ、と着地した。
「ゼノだって?だってお前その姿は」
アリオンは目を白黒させた。
言われればゼノと名乗ったそれの長い二本の「ひらひら」は兎の耳の形をしているとわかるが、以前とは違い全身が黒で塗りつぶしたかのように真っ黒で目も口もわからない。まるで影そのもののような姿形をしていた。
「昨日の夜ぶりだね、アリオン。前と違ってておどかしてごめん。僕はここではこういう姿なんだ。今回はお忍び中のお忍びだから出るタイミングをうかがってて中々話掛けられなくて」
「もしかしてさっきから声が聞こえると思ってたけど」
「僕だよ」
アリオンはほっと胸をなでおろした。ゼノは信用できる相手かどうかはわからないが、この状況において知っている相手に出会えた安心感が芽生えてしまった。
「お前だったのかよ。ん?でもゼノが居るって事はここは夢の中なのか?」
アリオンは混乱して両手で頭をむしった。
「いや現実だよ」ゼノはこともなげに言った。
「アリオン、生体プログラム使えてるよね?」
「えっ」
アリオンが固まっているとゼノが影の中で言った。
「それより、いったんここを離れようアリオン。鬼さんに気づかれちゃった」
ゼノの言葉にアリオンがはっとして湖を振り仰ぐと、座っていた何かが立ち上がるところだった。
「走って。後ろを振り返らないで」
声が聞こえると同時にアリオンは一目散に来た道を駆け戻った。
だが胸中は何度も後ろを振り返りたい衝動にかられていた。
立ち上がった後ろ姿に、着丈の長い白い衣装、翻る頭部の赤いリボンが見えた気がしたから。
どれだけの間走っただろうか。
今まで同様、光が消えると同時に湖は見えなくなり辺りは再び静寂と闇に包まれていた。
アリオンは木に手をついて息を整えた。視界は悪いはずだが木の輪郭はわかった。
「本当だ、生体プログラムが使えてる。いつの間にか『ライト』が起動してる」
ゼノが言ったとおりだった。
生体プログラムが視界を見えやすい明るさに調整していた。
確認のために生体プログラムを開くと、目の前に現れたターンテーブルに『ライト』の文字が黄色く点灯していた。
「アリオン」
足元から聞き覚えのある声がした。
「ゼノか。なあ、さっき湖の傍に座ってた人の事だけどさ」
アリオンは木に手をついて体を支えたまま足元のゼノがいるだろう影に向って話しかけた。
「イオに似てたような気がするんだ」
「あれは違うよ。アリオン、湖の傍にいるのは相手にしちゃだめな奴だからね。覚えててね」
「なんで」
「危険だからだよー」
ゼノの反応にアリオンは聞き返した。
「っていうかお前、ここの事色々詳しそうじゃねーか。俺迷ってるんだけどここの出かた知ってる?」
「うん。知ってるよ」
アリオンは思わず木の胴にしがみついてそのままへなへなと座り込んだ。
「よ、よかったー、助かった。もうずっとこのままかと思ったあ」
地面にくっついたアリオンの足をつんつんと黒いもやがつついて回っている。
「僕、実はアリオンを脱出させるためにこうやって出向いたんだよ」
「ま、まじでありがぞう」アリオンは思わず鼻水を流して感涙してしまった。
「でね、一つお願い」
「なんだよ」
「脱出の前にここでアリオンにやって欲しい事があるんだ」