一章
2・ミッドナイト -3
薄暗い場所にいる。
足元の土が軟らかく湿っている。
身体は植物のツルが生い茂る濡れた壁に寄りかかっている。
土と草のにおいが立ち込めていて、頭の上にはひんやりとした空気の流れを感じる。
少し遠くの上方で何かが地面を駆ける音が響く。
ここはどこだ?
建物の中だろうか
視線を巡らせると少し先に光が差し、退紅色に染まった天井がうっすらと見える。
どうやらトンネルのような空間らしい。天井は思ったより高く道幅は余裕があり、圧迫感はあまりない。それがずっと奥まで続いている。
どどど、と全身が振動するほどの地響きが起こり、さっきよりも近くで何かが集団で移動しているのを感じる。
思わず隠れるように壁に身を寄せて小さくなる。
直ぐ頭上の天井を透けて、暗い影が落ちる。「何か」が近くまで来ているのが見えた。
直感的に危険を感じ、滑る壁のツタを握って立ち上がり歩き出そうとする。
壁の中をコポポ、と音を立てて泡が上に登っていくのが見えた。
ちきしょう どこへ隠れればいいんだ
何とか歩き出すがぬかるむ足元に加え視界が悪い。しかも見た所一方通行で逃げようがない。
だんだん地響きが近づいてくる。
焦りが噴き出す。
まずい
とにかくあそこの、光の下まで
もがきながらなんとか目標にたどり着くと、そこは細い小道との枝分かれになっていた。
迷わず小道に滑り込み体を壁にくっつけて薄くなる。
無理だろ なんも隠れてねえ
万事休すー
ぎゅっと目をつぶると、何かが足をさらおうとする。
はじめは植物が絡まったのだろうと無視していたが、何度も引っ張られるので下を見る。
そこには耳の長い小さな動物のようなものがいた。
長毛でふさふさなそれが、足をつんつんと引っ張っていた。
「ね、こっちにきて」
しゃべった!
驚きながらも動物に向かってほとんど無意識でうなずく。
それはぴょんと飛び上がった。
すると目の前の壁にどういう原理か両開きの窓が現れた。中は白い光で満ちていて何も見えない。
「この中に隠れるよ 僕にしっかりつかまってて」
返事するやいなや動物にしがみつくと、身体が窓の中に吸い込まれた。背後に迫った「何か」の吐息と唸り声を聞きながら。
白いひかり。
薄暗くほんのり赤みがかった視界の悪い空間から一転して、目の前は白一色。
トンネルから別の部屋の中に入ったと思ったが、外に出たのだろうか。
今目に映る光景といえば室内らしき壁や天井は見えず、どこまでも白い空と大地が広がり境が見当たらない。
立っている感覚はあるものの自分の足が土に着いているのかすらおぼつかない。まるで宙に浮いているような感覚だ。
まぶしくなって目を閉じてみるがそれでも白い光が瞼を通ってくる。
『やあ、危険を伴う場所に接続してすまない。大丈夫だったかい?』
子供のような声に振り返るが、いない。
『こっちだ』
目線を下げると、いた。
自分のひざ下位の大きさの、紫色を薄めて灰色に溶かしたような色をした耳と毛の長い動物がこちらを見上げている。少し赤みも帯びていて輪郭が発光しているように見える。
見たこともない生き物だ。
長い耳をピンと立てると兎に見えるが、頭から背中にかけてタテガミが生えている。右目をつむり、開いた左目は青く輝いている。どこかコミカルなタッチの造形をしていて二本足で立ち、蝶ネクタイまでしている。それを見て自分の置かれた状況をなんとなく察する。
こんな姿をした生き物は現実にはいない。
十中八九、自分が知らぬ新しい”生体プログラム”の広告かプロモーション用キャラクターではないか。
さっきのトンネルや気持ちの悪い「何か」は宣伝の一環だろう、と推測できる。
とはいえ何故急にこんな状況に巻き込まれたのか身に覚えがないのだが、「映像を伴った媒体」は非常に危険度が高い違反だ。
早く遠ざけなければと思う。
『妙なのに巻き込まれたみたいだ。どうやってこのプログラム終了するんだろう』
独り言を聞き取り灰紫の兎はぺこり、と頭を下げて再び謝罪した。
『すまない、やっと接続できる人を見つけたから、強引に君の意識をここにつなげちゃったんだ。
僕の名前はゼノ。事情があって今仮の姿で話しかけているんだ。』
『フーン、案内役か?最近のAIはよく話すな。何をどうすればいいんだ?』
『こっちへ来てよ』
ゼノ、と名乗った兎はこちらの態度にお構いなしにすらすら言い、ぴょんと跳ねながら歩き出した。選択の余地はなく後に続いた。
白い空間を灰紫色の小さな生き物の先導で歩く。
風景が変わらないので前へ進んでいる感覚がなく、その場で足踏みをしているようだった。
目をつぶっても歩けそうと思い実行に移した瞬間、足の裏が硬い地面に触れた。
思わず目を開けるが、閉じる前と同じ白い世界が広がるばかりだった。
しかし確かに足元には土を感じる。何かが変化したのだろうか。
『あれを見て』
ゼノはそう言うと鼻をひくひくさせながら背伸びをして右手をあげた。
促されるままに前方を見ると、さっきまで何もなかった空間に白い寝台があった。
その上で誰かが眠っているのが見える。
『え?これって』
近づくにつれて、見覚えのある姿に衝撃を受けた。
目を閉じ横たわっているのは。
今日工場で見つけたあのアンドロイドではないか。
白い髪に白い衣装。
出会った時と同じ姿ではあるがしかし何かが妙だと感じた。
違和感の正体に気づいた瞬間はっと息をのんだ。
アンドロイドの胸がゆっくりと規則的に上下し、併せて息が漏れる音が聞こえる。
無機物なはずの機械は眠っていた。まるで人のようにやすらかに息をしながら。
その姿はどう見ても機械には見えなかった。
『生きてる』
口から洩れた言葉をゼノが拾った。
『そうなんだ、彼女は実は生きてるんだ。だけど今は身体の自由を奪われてて動けなくなっているんだ。僕はその事を君に伝えたくて来たんだ』
表情を変えずアンドロイドからゼノに視界を変える。
『・・まさか。よくできたフィクションだ。こういうプログラムなんだろ』
『いいや、本当に本物さ。今地上は何が嘘か本物かわからない世の中だから、信じてもらえないのはわかるんだ。でもこの事は本当。彼女は人間なんだ、アリオン』
名前を呼ばれてアリオンの瞳が少し大きくなった。
くすんだ紫色の兎は、ぴょんとアンドロイドの眠る寝台に飛び乗って、アリオンに視線を合わそうとした。
『ここは彼女の心の中の世界。
この白い空間はブラクト。生き物の心を支える場所って呼ばれている。僕たちが今逃げてきた暗いうねうねした空洞・リーフヴェインから無理に入ってきてるんだ。
長くは居られないから手短に話すよ』
アリオンが戸惑っていると、ゼノはふわふわの身体を大きく動かして身振り手振り話し始めた。
『深緑という水を知っているかい』
『え、ああ』
突然の予期せぬ問いにアリオンは思わずたじろいだ。
『アンドロイドの血液。使われたアンドロイドは主人の心を読んで動くって話だ』
『そう。さすが、よく知ってるね』
『それがなんだって言うんだ』
『彼女の身体には深緑が使われているんだ』
『なっ本当に?』
アリオンは思わず大声を出してしまった。
『こいつ深緑製のアンドロイドだったのか?でもまてよあんた、ゼノだっけ。たった今人間だって言わなかったか』
ゼノは耳をぴんと立てアリオンの顔をまっすぐ見て言った。
『深緑はアンドロイドだけじゃなくて、実は人間にも使えるんだ。
深緑は人の身体に入ると、肉体と精神を支配して仮死状態にしてしまう。
人はまるでアンドロイドに見紛う姿になって、命令を受け付けるようになる』
「彼女を見て」、とゼノは”アンドロイド”の頭の隣にジャンプした。
アリオンののどがごくりとなった。
『彼女は元々人間なんだけど、深緑が体に入った影響で体を自由に動かせなくなった。その状態を君はアンドロイドだと勘違いしたってわけさ。そして精神も肉体と同様に支配を受け、こうして心の中で眠ってるんだ。いま目の前にいる彼女はブラクトに支えられてなんとか自分を保ってる』
『ブラクトって』
アリオンは声を発した。
『ここ。心を支える場所。小部屋、って呼ぶ事もあるよ。生物は皆各々持ってるんだ。
正確には今、小部屋から一歩中へお邪魔してるけど』
アリオンは眉間にしわを寄せた。
『この寝てるのがこいつの心の姿?』
『そうさ。ここもブラクトも全部彼女の心の一部分さ』
『心の中で心の姿を見るなんて変じゃね?(設定ザル?)』
『へんじゃないよ、ここで寝てるのが本体さ』
『本体・・』
アリオンが目を白黒させていると、ゼノは「時間がない」とつぶやきながらきょろきょろと辺りを見回した。
『寄り道しちゃった、本題だ。あのね彼女はちょっと特殊な状況にあって、完全にはアンドロイドになっていないんだ。だから人間に戻れる可能性がある。
アリオン、初対面の君にこんな事を頼むのは申し訳ないが、彼女を連れて
”ゼノス”に来て欲しい」
アリオンは眉間にしわを深くしつつ、体を傾けて苦笑いした。
設定が込み過ぎてすでにわけがわからなくなっている。
『凄い壮大なファンタジー的ミッションて事か?やらないと俺はここを出れないんだよな?』
『もう、ふぁんたじーでもみっしょんでもないってば!』
ゼノは全身の長毛をチクチクと尖らせると高く飛び上がってアリオンの頭に飛び乗った。
アリオンは衝撃でバランスを崩し、寝台の上に覆いかぶさる形で倒れこんだ。
『うわわ、やめろ』
『うんて言うまで動けないんだぞ』
アンドロイドの顔の上に腕を置いてしまい、アリオンは慌ててどけようとしたが、ゼノは退かずに体重を乗せて追い打ちをかけてくる。身軽に見えたがずっしりと重い。
頬がこすれるほど近くにアンドロイドの顔があった。
瞼が鼻が間近に見え、唇から空気が漏れる音がする。
肌は白く、頬の血管が赤や緑にうっすら透けている。
思わず首元に付いてしまった手に温かさと鼓動が伝わってくる。
そして全身が柔らかい弾力に包まれている。
花のような甘い香りに、全身が総毛立つ。
本当に生きているんだ。
『わかった、わかったよ!』
もはや機械には見えず、「潰しちまう」とアリオンは思わず彼女をかばって言った。
『行けばいいんだろ、そのゼノスとやらに』
観念した声を聴くとゼノはぴょんと、頭の上から寝台に飛び降りた。
アリオンも直ぐにアンドロイドから飛びのく。
『ありがとう!あいしてる、友よ!』
ゼノはくねくねしながら言った。
『ああ・・引き受けちまった・・』
アリオンの苦渋の決断など知らずに、アンドロイドはすやすや眠り続けている。
『この人はゼノスの大切な人なんだ。僕にとっても大切な存在さ。
僕は事情があって直接君たちが居る場所へ赴くことができない。
アリオンが承諾してくれて本当にうれしいよ。達成できたらアリオンの望みをなんでもかなえてあげる。
できるだけ急いでゼノスに来てね。地上の交通機関・飲食・宿泊がどこでも無料になるオールフリーパス出しておくから移動中のお金の心配はしなくていいからね』
『そんなのあるのか。チート?』
ゼノはぷうっと頬袋を膨らませた。
『まだ信じてくれない。これはプログラムじゃなくて現実だよアリオン』
そうだ!とゼノは左目を一際きらめかせてアリオンに顔を近づけた。
『アリオン、君は今日”機械修工店”に予約を入れているね。そこで彼女も診てもらうように僕予約を追加しておくよ、VIPで。現実で変更があったらさすがに信じるよね、うんそうしよう』
アリオンは思わず噴き出した。
『なんで予約の事を知ってるんだ?そういえば、俺名前名乗ったっけ』
信頼どころが逆に疑惑の目をゼノに向けたところで、急にアリオンの足元がぼこぼこと波立つ。
『は?なんだこれは。さっきのやつか』
動揺するアリオンにゼノが答える。
『違うよ。君は時間切れでこの世界から排除されるんだ。ここを守護している防御機構によってね。僕らは彼女の心に不法滞在してるから。現実に戻るよ』
『何言ってるかわかんねーけど、とりあえず俺は出れんのか?やった・・』
アリオンが安どしていると、その間にも白いぼこぼこは丸い球体となって浮かび上がり、全身を取り囲んでいった。
ゼノは「じっとしてて。大丈夫だよ」と諭す。
アリオンはゼノの様子をじっと眺めた。
姿かたちは可愛らしい小動物に見えなくもない。
声や話し方から子供だと思ったが、話の内容ややり口をみるとそうではなさそうだ。なんだかへんてこでちぐはぐで得体が知れなくて、早く解放されたかった。
そんな彼に向ってゼノは言った。
『彼女を連れての移動は昼間に限って欲しいんだ。決して夜間の移動はしてはいけないよ』
『えっ、どうして』
目の前が急速に白くかすんでいく。
大事そうなことをこんなぎりぎりで言われてアリオンは動揺した。
そうだ、そもそも肝心な事を知らされてないではないか。
ゼノがぴょんぴょんアンドロイドの寝台の上で飛び跳ねて手を振っているのが見える。
『アリオン、ゼノスで出会おう』
アリオンは焦って叫んだ。
『おい、待って、
ゼノスってなんなんだ!??どこ!?
カップのコーヒーの湯気が消える頃、アリオンは部屋のベッドから立ち上がって大きく伸びをした。
振り返るとイオが目を閉じたまま横たわっている。
当然だが呼吸もしていないし触れても体は冷たい無機物のままだ。
夢だと思えないくらい、リアリティを感じる夢だった。
現にこうして内容を思い返すことができるほどに。
(不思議な感覚だったけど、夢は夢だよな。昨日深酔いしてたしこんな事もあるんだな)
昨夜、眠る直前にイオの瞳を見た気がした。
黒光りする瞳を思い出して、アリオンはぶるりと震えて肩をすくめた。
どっから夢だったのかな。と考えるのは少し怖かった。
そう思いながら、頭を切り替えてイオの目の前で腕組みをする。
「うーん、どうやって運ぼう」
機械修工店に午後から予約を入れていた。他の機械を見てもらう予定で組んだのだが、イオを診てもらうように変更する事にした。
「昨日みたいに背負うのは夜はともかく昼間もう無理だし俺の身体も無理だから、何か台車でも借りてきて・・」
独り言ちていると、玄関のベルがなった。
アリオンが「はーい」と返事をして扉に近づくと、外から声が聞こえてきた。
「なんだ起きてるんじゃん」
その声を聴いてアリオンはためらいなく鍵を開けた。
外の曇り空を背景に、黒髪を一つに結って垂らした細身の女子が立っていた。
「おはよー、昼だよ」
「おはよアミア」
アミアは休日だというのに仕事着のジャンパーを羽織っていた。浅黒い肌に一重の瞳、きゅっと上がった目じり。眉は薄く短い。化粧っ気もなく完全に平日と同じ格好だった。
アミアとアリオンは幼馴染だ。十年来の付き合いである。
趣味が似ており相手の境遇に深入りしない距離感が丁度よく、お互い気兼ねなく接する事ができる貴重な友人だと思っている。異性だがそう感じさせる事はない。
「機械修工店に予約入れてる?アリオン寝ててテレフォシーが通じないから、何時予約なんだか聞いてきてっておじさんから私に連絡が来たよ」
生体プログラムには意識がある時にしか使えないものがある。
脳内で会話する”テレフォシー”は眠っていると不通になってしまうのだ。
「え?変だな。17時って連絡してたはずだけどなあ」
アリオンはぼさぼさの頭を搔きながら首をかしげた。
「おじさんがアリオンはVIPに変更したって言ってたけど。それじゃない」
「VIP?」
アリオンの動きが止まった。
脳内に思い当たる違和感が急に存在感を主張する。
「まさか、だって」
「心当たりないの?」
「いや、ある。・・けど」
「なら早くテレフォシーで連絡しなよ」
アミアはアリオンの様子には気を留めず、ポケットから煙草を出して火をつけた。
「私も用あるから一緒に行こうかなとおもってさ」そう言いながら奥のアンドロイドの姿を一瞥した。
アリオンは動揺しながらも促された通り返信しようと、生体プログラムを起動した。
(だって夢だったろあれは。俺、間違ってVIP予約してたのかな)
ふと、視界の端でレター箱がいつもと違う色に点滅している事に気付く。
部屋の奥を眺めていたアミアは、アリオンが固まっていることに気づいた。
煙草を指で挟み、煙を外に吐きだしてアミアはアリオンの顔の前で手を振った。
「どした」
「夢じゃなかった・・」
「ん?」
「ちょっと話を聞いてくれ、今信じられない事が俺の中で起きている」
口元だけ笑って目が空中を漂っている幼馴染を見て、アミアは右の眉を吊り上げた。
「いいよ。私も後ろのそれが気になってたところ」
イオを指さして言うと、アミアは後ろ手に扉を閉めてアリオンの部屋に入った。
アリオンのレター箱の最上段で、購入した覚えのないオールフリーパスが金色に輝いていた。
>>1-3 「緑」