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一章

​2・ミッドナイト

 自分の発した声でアリオンは目覚めた。

目の前をふわりと跳ねて小さく丸いシルエットが消えていく。

はっとしたまま、何かが起こるのを待つが一向に起こらない。ただ静寂だけが漂っている。

 

何かを言おうとしていた。それは覚えているのだが、思い出せない。

紫色の雲のようなふわふわした幻が瞼の裏に残っている。

なんだ?俺はこの紫のふわふわを追いかけてたっていうのか?

アリオンは眉をしかめてしばらく薄暗い天井を眺めていた。そしてじわじわと自分の部屋のベッドにいる事を実感し始めた。

見慣れた風景。つまりこれは

 

「夢か」

≪港町A街(エーストリート)7丁目232番地「244工場 」”通称”ガーデン-・・

 アリオンはふうっと息を吐いた。全身に力が入っていた。

誰かを追いかける夢を見ていたようだ。現実ではなかったとわかってほっとした。

 

 カーテンから弱い光が漏れていて昼間だというのがわかる。

人の声、足音、乗り物のエンジンが吹く音、様々な生活音が少し遠くから聞こえてくる。

 ここはアリオンが働く工場の敷地内にある寮だ。従業員の多くが住み込みで働いている。

朝と晩は食事が提供される。風呂トイレ炊事場は共同だが、勤務経歴が10年を超えると個室がもらえる規定になっている。

 

一人の部屋で足を伸ばすと、積んであった機械のガラクタに足がぶつかってガタガタと音を立てた。その音でもう少し目が覚める。

(今日は・・そう休みだったな)

頭が重たく感じる。なんだか体も節々が痛む。

力の入る疲れる夢を見ていたせいだろうか。

(昨日は・・どうしたんだっけ。皆と飲みに行って、ああだから変な夢とか見たのか)

 

「痛って」

アリオンが頭上にあるはずの目覚まし時計に寝たまま腕を伸ばすと、また体が悲鳴を上げた。

どこで痛めたんだろ。酔ってたからな。

(今日は約束があるんだ。今が午前中だといいんだけど。)

 

 無造作に置いた手に何か柔らかいふわふわした物が触れた。確認のために顔を上げてそれを見た瞬間、まどろんでいたアリオンの脳は一気に覚醒した。

 

「夢じゃない・・こっちは」

血の気が引く音がした。

 

 そこには一体のアンドロイドがアリオンに頭をもしゃもしゃにされて横たわっていた。

昨晩アリオンが仲間たちと共謀で廃工場から持ち帰ったままの姿。

白っぽい金髪を短く切りそろえた形のいい頭部、閉じた瞼、幾重にも薄い布を重ね合わせた繊細な衣装、恐ろしい位精巧で美しい全身の造形・・。

身体が痛むのはそう、彼女を背負ってここまで持ってきたからで・・。

 アリオンの中で次々と昨日の出来事のピースがはまっていく。 

 

 アリオンが少女を模したアンドロイドの前に正座し、固まったまましばらく時間が経った。

まじか、とアリオンは頭をかきながら幾度となく呟いていた。

今までも酔って廃品を持ち帰ったり、全自動ロボットを造ろうとして失敗した事はあったが、アンドロイドを持ち帰るなんてことは無かったので、さすがにビビって自身の行動を悔いている。

昨日あんなに酔っぱらわなければ。

廃工場に行かなければ。

仲間の誰か一人でも正気だったら。

こんな大胆なしでかしはなかっただろう。

しかし、全ての条件が昨日はそろっていた。

「あーやっちまった。どうすんだこれ」

アリオンは腕組みをしながら天井を仰いだ。

それからもう一度アンドロイドを見ると同時に、腹が情けない音で鳴ったので、観念して一度部屋から出た。

 炊事場で湯を沸かしポットに移して持ち、ついでに置いてあった自分の朝食を受け取る。

今日はハムチーズ入りサンドイッチとあんパンと牛乳だ。炊事場にも廊下にも人がほとんどいないところを見るとどうやら昼過ぎのように感じた。

 部屋に戻り、床に置かれた修理中のパーツをよけながらベッドに腰かける。物が乗っていてほとんどスペースのないテーブルになんとか朝食を置いて、カップにインスタントコーヒーをスプーン一杯、ポットのお湯を半分、残り半分は牛乳を注ぐ。香ばしい香りが部屋に広がる中、サンドイッチを頬張る。

「うまい」

空腹に食料がしみわたる。

腹が満たされてアリオンは落ち着いてきた。

ベッドと作業机とテーブルで部屋は一杯になるくらいの狭さだ。

眠るアンドロイドの顔を眺めながら呼びかけた。

「”これ”じゃない。昨日名前を付けたんだった。

お前はイオ。イオって名前だ」

アリオンは、うんうんと満足そうにうなづいた。

 

イオ、はアリオンの作業用机の上の機械の部品をかき分けて隙間に横たえられていた。

「そうだ。この全身の痛みはイオを背負って帰ってきたからだ。昨日の夜は色々あったな。

いてて・・」

肩や腕をさすりながらアリオンは苦笑いした。アンドロイドは重量がある。

 テーブルの中央には、小さな蓋つきのガラス瓶が置いてある。中に封された半透明の緑の水が、ひとりでに泡を出しながらくるくると渦をえがいている。

ゆっくりと、昨晩の事が思い返されていく。​​​​

Shinryoku to mazyo

©KUROTIYO

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