一章
1・いつもと違う夜 -3
廃工場の面積はアリオン達の働く工場と同程度あるよう見えた。
つまりとても広そうだ。二階建ての高さの壁が先で待ち構えている。
視界良好になったのでいよいよ建物に向かって歩くのだが、一列になった前方でもめ事が生じている。
しぶしぶ連れてこられたアイクが先頭が嫌だとごねてアブと交代するのが見えた。
やがて「じゃ、行く」とアブが右手を上げて隊列が進み始めた。
アリオンは最後尾を歩いた。下を確認して危険そうな物を避けながら注意深く進む。
前にも注意したい所だがこの中では一番背が低いので、アレックスの背中しか見えない。
前で何か起きても知るまでにラグが生じるのは避けられないだろう。
ふっと、一瞬辺りが明るくなった。
空を見上げると月が気まぐれに顔を出しては雲に隠されている。風が出てきた。
つい目に入った工場の母屋の黒い窓を見ていると、さっそくアレックスの背中に顔面衝突してしまった。
と同時にアイクの「キャー」っと叫ぶ声。
すわアンドロイドか?とアリオンが思っていると「ねずみ。ねずみだ」とアレックスがぼそりと言った。「アイクば置いて先行くべ」
両腕を体に巻き付けて上を見て硬直しているアイクを迂回して行ってしまった。
アリオンはなんだか可哀そうになってきて「なんなら戻ってもいいぞ」と言った。
「馬鹿言うな一人でここを戻るなんて」、とアイクが歯をカチカチ鳴らして言った。
「見たんだ」
「え?」
「窓に黄緑色の光が映るの」
「どこ?」
窓ガラスは黒いままでわからない。
急に西側から淡い光を感じてアリオンは振り向いた。
工場に続く道から外れた場所。ぽつんと屋根の壊れた尖塔が建っている。
農業で使われるビニールのような物で覆われ、内部がうっすら見える。
その中に確かに黄緑に光るものをアリオンも見た。
心がざわついた。
光に見覚えを感じポケットを探る。
それは手のひらに収まる程の小瓶で中には液体が詰まっていた。
これを見つけた時にこんな光を見た気がした。
急に、アリオンは地面がゆがむような感覚に襲われた。たまらず頭を押さえ目を閉じる。
まるで船の上で波に揺られているようだ。耳の奥でサイレンのような低い地鳴りがする。
しばらく無抵抗にただ立ち尽くしていると頭の轟音は遠のいた。
そっと目を開けると揺れていない。立ち眩みだろうか。
顔を上げると先ほどの光が弱くなっている気がした。上空では月が雲をまとっていた。
「あそこで何か光ってたな」アリオンはうめくように呟いた。
「おい、大丈夫かよ。酔いが回ったか?」
アイクの心配する声も耳に入らない。
アリオンは尖塔を目指して吸い寄せられるように歩いて行ってしまった。
後には足が硬直してうまく歩けないアイクの悲しい呼び声だけが残った。
残念!中は鍵がかかってる、
と工場の入り口でアブが腕でバツを作って振り返ると、隊員が半減している事に気づいた。
アイクはともかく、
「アリオンは?」
「あれ、どこさ行ったんだべ」
アリオンは塔のような背の高い建物の入り口に立った。
入るとすぐ広間になっており天井まで吹き抜けになっている。
外で見るよりも奥行きがあり、小さな教会の礼拝堂くらいの広さがあった。
金属製の骨組みの軟そうな柱でくみ上げられ、半透明の膜がビニールハウスのように覆いかぶさっている。
屋根は劣化して穴が空き、破れた膜がブラブラと風に揺れている。
間に合わせ程度に作られたと思われる雑な作りだ。
その下に百体はあろうかというアンドロイドが積み重なって置かれていた。
月の光がスポットライトのようにその群衆を照らし出すのをアリオンは息をのんで見つめた。
知識のない人が見かけたら死体の山に見えるような光景だった。
しかしアリオンの目にはまるで違って見えた。荘厳でなんと美しいのだろう。
一体も微動だにせず、音もなく時間が止まっていた。
中へと足を踏み入れると円形のホールに足音が響いた。
黄緑色に光っていたのは何だろうか。
そう思っていると急に視界が歪み、気づくとアリオンは一体のアンドロイドの前に立っていた。
その個体は若い女性の姿をしていた。
他のアンドロイド同様、四肢を力なく放り出し目は閉じているが、少し特別な様子で椅子に座っていた。
実はこの場所に入った時、最初に目に飛び込んできた機体だったと気づいた。
彼女の腕が青緑色に一際光っているように見えたのだ。
ただ、近くで見るとそれ以上に精巧な美しさと生きていない冷たさに吸い込まれそうだった。
銀色に輝く髪、白い肌、リボンの付いた帽子と上品なスカート、肩を出し長い手袋を身に付けた姿は、実際目にした事は無いがこれから社交場に赴く貴婦人のようだと思った。
伏せられた瞼の長いまつ毛の下に影が落ちている。
今にも眠りから醒めておはようございますと微笑みそうなほど繊細な姿に、アリオンは時間の経つのも忘れて見入った。
「あー、ここにいたアリオン」
「うわなんだこりゃすげえや」
しばらくすると塔の入り口が騒々しくなり、同僚たちが次々に姿を現した。
何度目かの柔らかい光が辺りを包みこむ。
雲間から月が出て、塔のカゲロウの翅(はね)のような薄い天井を通って降ってくる。
アンドロイド達は、月の光が注ぐと黄緑の光をまとった。
光は大きくゆらゆらと炎のごとく揺れ、焚火のように周囲を明るく照らし出した。
その姿はまるで大きな結晶にも見えた。
やべえ、こんなイルミネーションお目にかかった事ないぞ。と、誰ともなく呟いた。
アブ、アレックス、アイクの三人は茫然と目の前の光景を見つめた。
エネルギー削減とやらで沈んだA街の夜において、これほど迄に煌々と明るい光は滅多にお目にかかれない。いや、人生で初めてというべきレベルだ。
黄緑色の光というのはどうもこれの事のようだと、不思議な光景を見た一同はうなづきあった。
やがて月が雲に隠れるとアンドロイド達の輝きも静まり、仄暗い青緑色にうっすらと光った。
非現実的な光景の余韻に皆が浸っていると、アレックスが口を開いた。
「重くなってきたべ」
それを聞いてアイクははっとして彼の背から飛び降りた。
「おう、わりいな。ありがとよ」
道で歩けなくなっていたアイクだったが、同僚の背を借りてなんとかここまでたどり着いた。
今まで動けなかったとは思えない程、スタスタとアンドロイドの山の周りを一周し始めた。
アブとアレックスは機械の山を感嘆して見上げながら、何かを一心不乱に見つめている同僚に近づいた。もしかしなくても自分たちに気づいていない様子だ。
「アリオン大丈夫かあ?」
「ん、ああ」
アレックスが目の前で手を振るとようやく反応した。
「こんなにたくさん凄い光景だ。これ廃品だよな。
状態からすると最近の機体のように見えるけど」
アブの言葉にアリオンはまだぼうっとうわの空で答えた。
「壊れてるんだ」
「そうみたいだな。でもこんなにアンドロイドが光るなんて」
「月の光が当たると光る。俺も光を見てここに来たんだ」
アリオンはアンドロイド達が光を放つのを見ても、アブやアレックスが話しかけても目もくれず代わりに目の前の機械に没頭している。
「俺ら深緑製の特徴が”勝手に動いて話す事”位しか知らないし、もしこの中に深緑製がいてもちょっとわからないな」
「ああ、でもこれに出会えた」
アリオンの声に急に力がこもった。アブとアレックスはアリオンと目の前のアンドロイドを交互に見て顔を見合わせた。
そこへ機械たちの周りを一周したアイクが戻ってきた。
先程とは一変して何故か嬉しそうだ。
「このアンドロイドは皆状態のいい美品みたいだな。見た限り皆女だ。
誰か商売に使おうとここに集めたんじゃないか。
今アンドロイドで欲求を満たすのも出てるじゃん。そういう為の」
「まあ用途はわからないが工場閉鎖後に誰かが運んできたんだろうな」
アイクの言葉をさえぎってアブが言い、アレックスがため息をついた。
噂の真相解明、まではいかなかったが目的だった光の正体は確かめた。
彼らのミッションは半分はコンプリートだった、が。
全員の視線が立ち尽くして無言のままのアリオンに注がれた。
「どうするこれ」
「どうすんべ」
「置いていこうぜ」
最後の一言はアイクだ。
すると、それまで違う世界に行って会話に加わらなかったアリオンが口を開いた。
「よし、これ持って帰る」
「ええ」
「なんと」
アブとアレックスは後ろにのけぞったが、想定内での驚き方のように見えた。
「アリオンお前・・」
アイクは若干引いているようだった。
「それで寂しさをしのぐんだな」
「何の話だよ。
勘違いするな。ちゃんと使えるようにするんだ。当てがあるのさ」
アリオンは少しだけ皆の視線を気にするように言うと、背中に銀髪の彼女を背負うのを手伝うよう指示した。
アリオンがアンドロイドの首に手を当てると、夜の冷たさを吸い込んで氷のように冷たかった。皮膚も関節も特殊な素材で加工されているため固く、生身の人間より重量もある。
「こんな雨風ロクにしのげない場所に置き去りにされちゃかわいそうだ。
売る気なんてないさ」と鼻息を荒くするアリオン。
「盗品だったら」
「その時は謝る。なんとかなるって。俺はこれが凄く気に入ったんだ」
折れる気なんざさらさらない、といったアリオンの様子に三人は顔を見合わせ、やれやれとジェスチャーした。「本当に、期待通りの人だよ」
壊れたアンドロイドを手に入れた一行は塔を後にするところだった。
アブは一つ気がかりな様子で入り口から群衆の山を振り返った。
この場所まで廃品の山だったが、「どうやって彼女たちを運んだのだろう」
「自立歩行さして、ここで壊れたんじゃねえべか」とアレックス。(それも怖いが)
「でも、美品だったぜ。皆、足きれいだった・・やっぱ、なんか化けてるんじゃ・・」
とアイクは青ざめアリオンに背負われた機体に恐怖の視線を向けた。(足よく見てるな)
「よく見ろ、足有るなら幽霊じゃ無いだろ。地道に人力で運んだんじゃね?」とアリオン。
(うーん・・うん)
黙って心の中で相槌を打っていたアブはアイクに同意な気分だった。
その娘にすっかり魂を抜かれたアリオンを見てきたからか。
(朝になっても消えてないか明日アリオンに確認してみなきゃ)
何故か気分は弾んでいた。
四人は住み込みで働く工場へ帰途に就いた。
ここから八件先。近場だ。
背負ったアンドロイドの重さでふうふう汗をかきながらも満面の笑みで歩くアリオンを、三人が時々後ろから押したり前でひっぱったり・・深夜の街道をフォーメーションを変えながら歩いた。
その背後を照らす、二つの月に誰も気づかずに。
ひょっとして
ひょっとしたら
何かが起こりそうな、もう既に何かが起こっているような。
気持ちが高ぶって君に出会えた。
仲間たちもワクワクして、そわそわして
この夜が特別だと感じているんだ。
今夜はそんな
いつもと違う夜。