一章
1・いつもと違う夜
空は暗かった。
毎日黒い雲が空を覆っている。
地上に太陽の光が差すのは稀な事、ほぼ無いといってもいいだろう。
どんよりとした空の下、冷たい大地の上で今日も仕事の後に盃を交わすのは工場で働く労働者たちだ。
時刻は深夜零時を回るころ。酒場にはテーブルを囲むまだ数人の姿があった。
≪港町A街(エーストリート)7丁目220番地 「うみねこの宴」-・・
なめらかなタイルのように白く光る肌、繊細でためらいのない手の動き、
踵を返した時に揺れる長い服のすそ・・。
アリオンはテーブルに肘を付いて顎をのせ、瞬きもせず見入っていた。
その姿はまるで彼女に恋焦がれている男のよう。酒場の給仕を済ませ、厨房へと戻って行く後ろ姿を目で追っていると、腕を小突かれて我に返った。
同じテーブルで飲んでいた3人の同僚がじっと見ている。
「な、なんだよ」
「好きだねえ」
眼鏡をかけてがりがりに痩せた男が目を細めて笑う。
「いいだろ、別に」
「とがめるつもりはねえよ」
その隣でもう一人の眼鏡もうなづく。こっちは小太りだ。
つもりはない、と言いながら何か言いたげな雰囲気をアリオンが感じていると、
最後にこのメンバーの中で一番大柄な男がにやにやしながら言った。
「で、あの子に連絡先聞くの?」
アリオンは大きくため息をついた。そして反動で大きく息を吸い声を張り上げた。
「聞くか。アンドロイドだぞあれは。いい動きしてるなって観察してただけ」
金髪を興奮した犬の耳のように振って弁解するアリオンの反応を3人は満足したように見守って「やれやれ」というジェスチャーをした。気心知れた仲間内でやる定番のいじりだ。
光の当たらないこの地域では、人の代わりに暗所で仕事をするアンドロイドの存在が欠かせない。
アンドロイドは、人間を模した機械に人工知能を搭載したいわば、人造人間だ。
技術革新が進み、今やぱっと見普通の人間と見分けがつかない。
酒場を動き回る給仕用アンドロイドも生身の女性とほとんど変わらない容姿をしている。
機械好きのアリオンは周囲の目も忘れて働く様子を追っていたので、はたから見れば”彼女にベタぼれ”な人に見えてしまう。同僚たちはその姿をからかった、というわけだ。
アリオンは一つ仲間たちに相談したいことがあった。それは少し非現実的で、仕事の合間では相談しにくいと感じていた。
だが仲間が集まる終業後の飲み会をその場に選んだのは失敗だった。機会を伺っていたが、ついうっかり飲み過ぎてこんな時間になってしまった。
「いやあアリオンの機械好きは凄いよな」、
と痩せたほうの眼鏡、アブが話題を引っ張る。
「もういいって」アリオンはつい反応してしまい、また話す機会を逃がしてしまう。
もう既に数本の酒瓶が足元に転がっている。つまり全員がそうとうの酔っ払いである。
普段はなんて事のない話で妙なテンションになりつつあった。
「捨ててある機械なんかも持って帰って直して使うんだろ。
俺ら機械作る仕事してるけどなかなかそこまでしようと思わないよ」
「素晴らしいべ」
太っちょの方の眼鏡、アレックスが拍手を始めた。酔って田舎の方言が出始めている。
「おいやめろよ」
アリオンは辺りを見回してアレックスを止めにかかったが、お客はもう彼らしかいなかった。
店内はシンとしており(彼ら以外)、ラジオの音だけが響いている。
今なら、とアリオンはもう一度相談しようとしたが、それまで黙っていたアイクに先を越された。
「アリオン、生身の人間はいいぞ。
確かにアンドロイドは見た目は皆一律美しいが機械は機械だろ。
いくら機械好きでも恋人にはできんのだから。女選べよ」
アイクは新しく恋人ができたという話だ。
(ヒゲ抜くぞこの格好つけが)
言いかけた言葉を飲み込まされて、アリオンはイライラしながら言った。
「あのね。人の好みはそれぞれあんだからほっといてくれ。
俺はあの給仕を可愛いとか思って見てた訳じゃない。
『アレ』が使われてないかって見てたんだ。」
それを聞いてアイクは隣で聞いていたアブを見た。
「アレってなんだ」
「アレってたぶんあれかな」
「だから何なんだアレって」
丸テーブルの反対側からアレックスが言った。
「深緑でしょ」
深緑?と復唱するアイクにアリオンは表情を輝かせてうなづいた。
「深緑(しんりょく)。
ほら最新式のアンドロイドに使われてる血液みたいな循環系の水だよ。
深い緑色で、搭載されたアンドロイドは人が頭の中で思った事を感知して自動的に動くんだって。一体どうやってやってるのかな」
そう言うと思いをはせて遠い目をした。
何とも言えない間が訪れた。
「え、知らないの?アイクまさか」
「この業界でまさかだべ」
アブとアレックスの畳みかけにアイクは慌てて首を横に振る。
「いや知ってる。”深緑”って昔話に出てくる方かと思って一瞬考えちまったんだ」
アリオンを加えた3人は「いやいや」と手を揃えて振った。
「でも”深緑”の名前の由来は多分そこからでしょうねえ」
「おそらく」
アブとアリオンがうなづきあっているとアイクがふっと、鼻から息をもらした。
アリオンはそれだけで嫌な感じがした。
「こんな田舎に最新型アンドロイドなんか有る訳ないだろ。
だから機械ばっか見てないでもっと遊びをだな」
どうしても新しく覚えた楽しみを話したいらしい。
赤ら顔で胸を反らす姿を見て、アリオンは心に小さな意地悪が芽生えた。
「そういや。アイク、この近所の廃工場でアンドロイドが勝手に動いてるって噂があるの
知ってる?」
アイクの顔色がさっと白くなる。大きな体に見合わず彼は小心である。
予想通りの反応どうも、とアリオンは心の中で呟いた。
「廃工場で。そそれが?」
「動き回って話したりしてるんだって。声を聞いた人がいるんだ。
あれはもしかしたら深緑製じゃないかと思うんだ」
「ままさか。なんでそんな所にある訳」
「いや、あったらいいな~と思ってるだけだけど」アリオンはチラリとアイクを見て
「幽霊の可能性もあるか」と加えた。
ごくりとあからさまに唾を飲み込むのを見て吹き出しそうになるのをこらえた。
「ちなみに黄緑色の光も目撃されてんべ」
にゅっ、と横から口をはさんだアレックスにアリオンもつられて飛び上がった。
「うわっ、アイクのビビりが移っちまった」
「んだと」
「ははは」
アリオンが笑って機嫌よく振り返ると、アブがやけににやにやしているのに不気味さを感じた。
目が合うと彼は明るく悪だくみを言い放った。
「行ってみる?これから」
それを聞いて感電した。
そうだ。自分で言っておきながら。
行ってみればいいじゃない。
本当に深緑製に遭遇するかもしれないじゃないか。
アリオンの瞳に火がついた。
「行く、もちろん。アブ俺の頭の中読んだのか?」
「そう俺は既に深緑製。なんてな。行きたいって言うかと思って。
アレックスは?」
「僕も行ってみたい。おもしろそう」
振り向くと案の定アイクが白目を剥いていた。
さっきまでの横柄な態度は見る影もなく声も弱弱しい。
「なんでこんな時間にわざわざ行くんだよ」
「昼間行くと目立つから」
アリオンはしれっと言った。気が高ぶる。
廃工場はここからたった四軒先だ。
「噂の真相を探ってみようじゃんか」
アリオンが言うとアブとアレックスは「よっしゃ!」ともろ手を挙げて賛同した。
飲みのテンションでこうなるともう誰も止められない。
一致団結した一行は、渋る大きな彼を引きずってどうにかこうにか酒場を後にした。
自分もまた、相当な酔っ払いの一人である事をアリオンは忘れていた。
あれだけ機会を伺っていた相談事も影を潜め、ポケットの奥でじっとしている。
今や頭の中は深緑製のアンドロイドや未知の機械の事でいっぱいになっていた。